第3章

失敗の連続、挫折の連続

僕がどんな人間か知ってもらうために、
幼少期からの僕のすべての記録を語ります。

はっきり言って、ここまで書くことには、ためらいがありました。

全然イケていない。
それどころかカッコ悪さしかない自分の半生を晒すことにためらいがありました。

暗くて惨めな自分の過去なんて、
知ってほしくはありませんでした。

しかし、僕の思いを達成するためには、
僕の過去をあなたに知ってもらう必要があると思い、
書き記していきます。

 
ブログでもお話ししましたが、
僕は子供の時から人見知りでした。

⇒乱太郎の子供時代(ブログ記事)

幼稚園時代の僕は、
友達も少なく運動神経もよくない地味な子供でした。

好きな遊びは、砂遊びとおままごと。
特技はあやとり。

幼稚園時代の僕は、
ドラえもんに出てくる「のび太」のような存在でした。

のび太君には、
多少の友達がいます。
(ジャイアンも心の友ですから(笑))

僕は本当に友達が作れなく、一人で砂場で遊んでいる事がほとんどでした。
幼稚園の先生からもよく心配されていました(笑)

そんな僕でしたが、両親は過度に心配することなく、
おままごとや、あやとりなど、女の子のような遊びばかりする僕を暖かく見守ってくれていました。

本当に一人でいる時間がほとんどでした。

友達作りができるきっかけがあっても自分から拒否していました・・・

ただでさえ、友達作りが苦手な子供でしたが、さらに間の悪いことに、
幼稚園を卒園して小学校に入学するタイミングで親の都合で引っ越しをする事になりました。

人見知りにも関わらず、
小学校入学早々から0からのスタートで、
友人関係を再度作らねばならない環境に追い込まれました。

このあたりから、ニヤニヤと作り笑顔をする性格が形成されていったと思います。

イジメられていた訳でもないのに、
「僕は仲間はずれな存在だ」
と勝手に思い込んでいました。

実際はそんな事もなく、
今から考えると勝手な被害妄想なのですが、
常に疎外感を感じながら生きていました。

当然のように、
クラスのガキ大将から逃げるように距離を置いていましたし、
友達も少ない方でした。

悲劇は続きます。

小学校3年から4年に進級するタイミングで、
また引っ越しをする事になりました。

この引っ越しが、
僕の人見知りに拍車をかけました。

またも0からの友達作り・・・
(友達作れてないじゃん、ってツッコミはナシで・・・)

そもそもが人見知りの僕には地獄のような環境でした。

多少のイジメはあったものの、何とかクラスに溶け込みました。
とは言え、当然友達は多くありませんし、疎外感は常に感じ続けていました。

「僕は、ここにいてはいけないのではないか」
勝手にそう思い込んでは、布団の中で一人で泣いていました。

そんな「のけもの小学生」だった僕にとっての唯一の救いは、
「あかねちゃん」の存在でした。

クラスで人気者のあかねちゃんは、
かわいい上に勝ち気で運動神経も抜群。
今から思うと、マンガ「乱馬1/2」のあかねちゃんに似ていたとも思います(笑)

あかねちゃんはなぜか僕に気を使ってくれて、
友達が少なった僕も、よく遊びにも誘ってくれました。

あかねちゃんのおかげもあり、
小学6年生になった頃には何とか馴染めるようになりました。

「これで一安心」と思っていた矢先、さらに試練が続きます。

父の勤めていた会社が倒産し、
母の実家がある別な県に引っ越す事になったのです。

幼稚園卒園~小学校入学、で引っ越し
小学校3年~小学校4年、で引っ越し
小学校卒業~中学校入学、で引っ越し

またも見知らぬ環境に投げ込まれたのです。

中学時代の楽しい思い出はほとんどありません。

楽しいはずの修学旅行の班割の時も、
「仲間はずれが無理やり組まされた班」に編入される始末です。

正直に言って、思い出したい記憶は一切ありません。
登校拒否にならなった事が奇跡だと思います。

取り立ててやる事もなかったので、
アニメを見たり勉強して過ごしてました。

エヴァンゲリオンが流行ったのもその頃で、
録画もして狂ったように見てました。

ただ、やりたい事もなかったので、
勉強する時間はたくさんありました。

「地味で目立たないけど勉強はそこそこできる」
そんな生徒でした。

3年置きに引っ越しをするという、地獄の時を経てきましたが、
中学入学以降はしばらく引っ越しする事はありませんでした。

やる事もなく、とりあえず勉強だけをしていた僕の進学は、
その地域で一番の進学校の高校でした。

田舎のその地域で一番ではありますが、
全国的には全くの無名高校ですけどね(笑)

そこは男子校でした。

よく言えば大人びた校風、
悪く言えば冷めた校風の高校でした。

そのため、DQN達はいませんでした。

そのため過ごしやすく、仲のいい友達も少しずつできてきました。

ただ、そこは田舎の男子校。
近所の女子高との交流も全くなく、
「一週間で話した異性は母と妹」
という、今では考えられない環境でした(笑)

その時は何とも思いませんでしたが、
今の状態で高校時代に戻ったとしたら、
ナンパに明け暮れていたと思います(笑)

それまでが極度の人見知りだったので、
「男子高校」という閉ざされた環境ではのびのび過ごせました。

先輩の誘いで生徒会に入ってみたり、
友人の誘いで廃部寸前の演劇部を手伝ったりと、
そこそこ充実してました。

女性との関わりは一切ありませんでしたが、
それなりに充実していました。

「特にやりたい事もないから勉強していた」
と言うのは中学時代と同じで、まずまずの成績ではありました。

そして、高校卒業を迎えます。

「可もなく不可もなく」という感じで何となく過ごしてきた僕は、
「可もなく不可もなく」という感じの大学の推薦を得ることに成功し、
「なんとなく」という感じで、無可無不可大学に入学できました。

「優良生徒でもないし、
不良性とでもない」という僕には上々のデキでした。

そして、
上京し何の変哲もない、
無難な大学へ入学しました。

大学に入学した僕は、「大学デビュー」を試みます。
ブレイクしてやるぜ!と思いました。

ま、その夢は数日で潰えるのですが・・・。

大学へ入ったら演劇サークルへ入ろうと思っていました。
高校時代に演劇部の手伝いをしている内に、演劇に魅力を感じたからです。

しかし、いざ大学に入って演劇サークルを探してみても、
「これだ」と思えるサークルが見つからない・・・。

そんな中、入学式でたまたま知り合った友人(とも呼べる関係ではないけど)に、
誘われたのがダンスサークルです。

人見知りのコミュ障がいきなりダンス

それまでダンスとは無縁の生活をしていましたが、
見学会で完全にダンスの虜となりました。

「演劇なんてやってる場合ではない!」
と完全に思い込みました。

「ダンスがあれば何もいらない!」
と思い込み、日夜浸食を忘れて踊り狂っていました。

そして大学生活のほとんどをダンスにささげる事となります。
授業にはロクに出ず、「バイト⇒ダンス⇒バイト⇒ダンス」
というサイクルを繰り返す、ダメ大学生へとなりました。

「ダンスこそが自分の人生だ!」
とダンスに没頭し、ダンスで生計を立てる人生プランまで考えました。

しかし現実は残酷なものです。
生来運動神経のない僕が、プロのダンサーになれる訳もなく、
普通に就職する道を選ばざるを得なくなりまた。

ところが、
時代は就職氷河期。
就職先なんて簡単には見つかりません。

エントリーシートを100社以上に送りました。
全く内定がもらえないダメ就活生でしたが、
1社だけ内定をくれる会社がありました。

そうして内定をくれた某金融機関に入社するのですが、
そこは想像を遥かに超えたブラック企業なのでした。

2chでも有名な、
「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」
に引けを取らないブラック企業でした。

営業部に配属されはしたものの、
何も分からない新人に面倒な取引先を押し付け、
更には「新規顧客も開拓しろ!」という無謀な要求。

毎日涙を流しながら働いたものの、3年後には鬱を発症し退職しました。

再就職の当てもなく、毎日テレビをみてすごしました。

心を支えてくれた女性の存在

会社を辞める数週間前、
ブラック企業の同期が開いてくれた合コンで
たまたま仲良くなれた女性がいました。

優子ちゃんです。

ちなみに、優子ちゃんと知りあった時の合コンは酷いもので、
ブラック企業の同期から散々イジられるだけで終わりました(笑)

その合コンでは、
もちろん誰とも連絡先を交換できませんでした・・・

それでも、
幹事の友達が気を回してくれて、
優子ちゃんに僕の連絡先を教えたのです。

そして、
優子ちゃんから連絡が来て、
何回か会ううちに付き合うことになりました。

付き合うようになった時は、
僕はブラック企業を退職していて完全な無職。

再就職の当てもなく無職でひきこもりの僕にも
優子ちゃんは優しくしてくれました。

「早く就職しなよ!」などとは一切言わず、
頼りなくて不甲斐ない僕を暖かく見守ってくれました。

ブラック企業で病んだ鬱も治らず、
大したキャリアもない僕は一年近く無職の引きこもりを続けました。

 

ベンチャー企業への転職、そして結婚

そんなある日、
ブラック企業にいた時の元上司から飲み会の誘いがありました。

元上司もブラック企業は退職し新しい会社にいたのですが、
その会社の飲み会に誘ってくれました。

僕はその飲み会で、
新しい就職先へのご縁をいただきました。

その飲み会にいた元上司の下で働く50代の女性が
「従兄弟がベンチャー企業を立ち上げて、
営業経験者を探しているから会ってみないか?」

と言ってくれたのです。

まさに恵みの雨でした。
僕は一にも二にもなく、
そのベンチャー企業の社長に会いに行きました。

そこで、
履歴書を渡すとまさかの奇跡が起こります。

そのベンチャー企業の社長も
僕と同じ大学の出身だったのです。

トントン拍子に入社が決まり、
僕はネット通販部門に配属になりました。

と言っても、
先輩(課長)、事務の女の子2人、僕、
の計4人の小さい部署です。

そして半年後、
先輩が社長とケンカして退職する事になり、
後任として僕がネット通販部門の課長になる事になりました。

Amazonや楽天など、
ネット通販そのものの規模がドンドン増えていた時期なので、
僕の部署の売上はものすごい勢いで増えました。

気がつけば部下も10人に増えました。
僕が入社した時の10倍近くの売上にもなりました。

会社の業績も安定しているし、
結婚を考えるようになりました。

もちろん、
以前から付き合っていた優子ちゃんとです。

そして、
結婚を決意しプロポーズをし、
優子ちゃんとめでたく結婚をしました。

結婚式はとても楽しいので、
一度は経験することをオススメします(笑)

僕の実家は地方、
優子ちゃんの実家は都内。

なので、
優子ちゃんの実家のすぐ近所に住むことにしました。
優子ちゃんが僕の嫁さんになりました。

会社のネット通販の売上も順風満帆。
2年が経過した頃にふと思いました。

「僕もネット通販で起業できるのでは?」と。

当時の社長の年収が5000万円。
僕の年収は300万円。

「起業して俺もバリバリ稼ぐぞ!!」
と思い、独立起業しました。

本当は起業するのに、
社長には「転職します」と嘘をつきました。

嫁のお母さんに反対されましたが、
稼げる自信があったので反対を押し切りました。
(それがよくなかったのですが、後述)

そして、
ネット通販のサイトを作って
独立3ヶ月目に月収120万円になりました。

このまま稼ぎ続けられると思った矢先、
まさかの事態が起こります。

ベンチャー時代の社長に起業がバレて、
僕の通販サイトはあえなく潰されました。

とは言え、
奥さんもいるので稼がないといけません。

ネット通販を通して、
物販ビジネスには詳しくなっていたので
通販サイトではなく転売で稼ぐ事にしました。

ネット通販業界にいた人なら分かると思いますが、
転売は何となくイメージが分かりにくだけで、
かなり儲かるのです。

ベンチャー企業でのネット通販(物販ビジネス)の経験もあり、
僕の転売ビジネスはすぐに利益を生み出しました。

Amazon、楽天、ヤフオク、ebay、価格com、など、
ネット通販(物販ビジネス)は何でもやりました。

月5-10万円の小遣い程度でよければ、
転売をやれば秒殺で稼げます。

それくらい簡単です。

 

破局を迎える結婚生活

転売の稼ぎも安定的になり、
「充実した結婚生活!」
のはずでしたが現実は違いました。

優子ちゃんと結婚し、
「仲睦まじく、幸せに満ちた結婚生活!」
と思いましたが、

現実はそううまくは行きませんでした。

起業後から優子ちゃんのお母さんが、
掌を返したように豹変したのです。

優子ちゃんのお父さんは
名の知れた大企業に勤めるエリートサラリーマン。

(優子ちゃんのお母さんから見たら)
僕は何をしてるかよく分からないノマドワーカー。

優子ちゃんのお母さんが、
「うちの娘を養えるのか」
「大企業に入り直せ」
など、
僕をけなしはじめたのです。

もちろん優子ちゃんがいない所でです。

結婚したからの新居は、優子ちゃんの実家の近くです。
事あるごとに、優子ちゃんの実家に行かざるを得なくなります。

そして優子ちゃんの実家に行く度に、
「優子ちゃんのお母さんが僕を責める」
という事態になりました。

もちろん、優子ちゃんのお母さんが僕を責めるのは優子ちゃんがいない時です。

お金が稼げていない自分に劣等感もありましたし、
優子ちゃんは自分のお母さんを心から慕っています。

僕は、僕がお母さんから責められてる事を優子ちゃんに言えませんでした。

どれだけ責められても、どれだけ侮辱されても
優子ちゃんにはその事実を言いませんでした。

今から考えると、相当なストレスが僕に溜まっていたのでしょう。

ある日、
飲み会でかなり酔ってしまった僕は、
帰宅するや否や優子ちゃんに溜まりに溜まった怒りをぶつけました。

優子ちゃんのお母さんには直接言えなかった怒りを、
こともあろうか優子ちゃんにぶつけました。

いや、それを超えて、優子ちゃんを罵りました。
口汚く罵りました。

しまいには、僕は優子ちゃんを怒鳴ってました。
僕は泣きながら優子ちゃんを怒鳴ってました。

もちろん優子ちゃんは泣きました。
ありえないくらい声をあげて優子ちゃん は泣きました。

それまで優子ちゃんとはケンカらしいケンカはしたことありませんでした。

そんな関係だったのに、
僕が突然怒り狂って怒鳴り出したのです。

優子ちゃんの動揺は当然です。

それから2人の関係はおかしくなりました。

優子ちゃんは僕に怯えるあまり、
僕とまともに口が聞けなくなりました。

優子ちゃんは僕の顔色を伺いながら
僕と接するようになりました。

そんな優子ちゃんの態度に対して、
優子ちゃんのお母さんから受けた仕打ちの復讐をするようになりました。

優子ちゃんのお母さんに対する怒りを、
優子ちゃん自信にぶつけました。

ここからは悪循環に継ぐ、悪循環です。

優子ちゃんのお母さんは、
娘の異常を察して僕に対して今まで以上に強く当たります。

僕は優子ちゃんが反論しないのをいい事に、
優子ちゃんのお母さんから受けた暴言を倍以上にして優子ちゃんにぶつけます。

もう完全に崩壊してました。

夫婦なのに会話らしい会話は全くなく、
そこに存在するのはストレスだけでした。

それでも気の優しい優子ちゃんは、
自分のストレスを僕にぶつける事なく、
今まで通り家事を完璧にこなし、
お母さん譲りの美味しいご飯を作ってくれました。

(優子ちゃんのお母さんは、性格は置いといて、料理はプロレベルでした)

優子ちゃんは相当我慢していたんだと思います。

酔った勢いで怒りをブチまけてしまった僕とは違い、
ストレスの吐き出し方を知らなかった優子ちゃんは溜め込んでしまっていたのです。
極限状態のストレスを溜め込んでいました。

ある日突然、優子ちゃんは家からいなくなりました。

仕事から帰って家に着くと、
ドアの鍵が空いていませんでした。

今まで僕より優子ちゃんが遅く帰ることはありませんでした。
「家に帰ってドアの鍵が開いていない」という事は一度もありませんでした。

あの時の、空かなかったドアの感触を僕は今でも覚えています。

「何かがおかしい」
そう思いました。

そして、
「完全に終わった」
と気がつきました。

優子ちゃんは実家に帰っていました。
そして、僕の暴虐を全て家族に伝えていました。

その翌日から、2LDKでの僕の一人暮らしが始まりました。

僕が会社に行ってる間に、
少し、また少し、
と優子ちゃんの私物が減って行きました。

僕と優子ちゃんの関係が終了しつつあることは自明の理でした。

そして更に、
もう一度やり直すほどの気力が僕にはありませんでした。

不幸中の幸いと言うか、
僕と優子ちゃんの間には子供が生まれませんでした。

夫婦生活として3年近く過ごしていましたが、
子供はいませんでした。

程なくして、
離婚届が同封された封書が送られてきました。

復縁したい気持ちも気力もない僕は、
署名と印を押して返送しました。

離婚届にも保証人欄があるのですが、
そこには優子ちゃんのおじさんとおばさんが署名したそうです。

淡々と転売(物販ビジネス)で稼いではいましたが、
一ヶ月、二ヶ月と過ごすうちに、
フツフツと女性に対する怒りが湧いてきました。

理由も分からず僕を責めた優子ちゃんの母、
そして溜めに溜めた怒りを突然爆発させた優子ちゃんに対する怒りを、
全女性のせいにして、復讐したいと思うようになりました。

「世の中の女は全て俺の敵」
本当にそう思っていました。

今から考えると、「ただのメンヘラ野郎」なんですが、
その時は生きているだけで精一杯でした。

毎日生きるだけで精一杯でした。

本当に病んでただけなんですが、
「世の中の女は全て俺の敵だから復讐してやる」
と思ってしまっていました。

「性欲を満たした上で女に復讐できるなんて一石二鳥だな」
と思って、ナンパを始めました。

今から思うと完全に病んでます。
ただのメンヘラですね(笑)

そして始めたのがナンパです。

ブログではカッコつけて理由付けをしてますが、
ナンパを始めた本当の理由は、
こんなクズみたいな理由です(笑)

今から思うと、
「自分の存在する理由を一生懸命見つけたかった」
ただそれだけだったと思います。

第4章 ナンパで人生が変わるのか